私たちは「目の前」を
そのまま見ていない?
能動的推測(Active Inference)から考える、視覚の不思議
今回は、「見る」ということについて、とても面白い研究をご紹介します。
私たちは普段、 「目の前にあるものが目に入り、それを脳が処理することで見えている」 と考えがちです。
目をカメラにたとえるなら、
光が目に入る → 網膜に映る → 脳に送られる → 見える
というイメージです。
もちろん、この流れ自体が間違っているわけではありません。
ところが近年の脳科学では、もう少し違った視点から 「見る」という働き を考える研究があります。
それが、 Active Inference(能動的推測) という考え方です。
この考え方から見ると、私たちはただ外の世界を受け取っているだけではありません。
脳が「世界はこうなっているだろう」と予測しながら、目を動かし、情報を集め、その予測を修正しながら世界を見ている。
今回は、そんな少し不思議な 「視覚の仕組み」 を見ていきましょう。
「見る」は、目から始まるとは限らない?
今回中心に取り上げるのは、Thomas Parr、Noor Sajid、Lancelot Da Costa、M. Berk Mirza、Karl Fristonらが2021年に発表した、
Generative Models for Active Vision
という論文です。
この論文では、視覚を 視覚野・注意ネットワーク・眼球運動系を含む「能動的な視覚システム」 として捉えています。
普通、視覚の説明は「光が網膜に入るところ」から始まります。
網膜に光が届き、神経信号に変換され、それが視覚野へ送られ、形や色、物体などが認識されていく。
ところが、この論文は少し逆方向から視覚を考えます。
私たちの目は、カメラのように一か所に固定されたまま世界を撮影しているわけではありません。
絶えず目を動かしながら、
「ここには何がある?」
「次はどこを見ればいい?」
と情報を探しています。
つまり、 見ることそのものが、能動的な行為なのではないか というわけです。
脳は先に「予測」している?
ここで登場するのが、Karl Fristonらが発展させてきた 自由エネルギー原理(Free Energy Principle) や能動的推測の考え方です。
Fristonは2010年のレビュー論文で、知覚・学習・行動などを、脳が持つ内部の生成モデルと感覚情報との関係から統一的に説明する枠組みを提示しました。
少し難しく聞こえますが、視覚だけに絞ってかなり単純化すると、
「外の世界は、たぶんこうなっている」
という予測がある
そして実際に目から入ってきた情報と、その予測を照らし合わせます。
たとえば、自宅の机を見るとします。
いつも同じ場所にパソコンが置いてあるなら、私たちは机を見る前から、ある程度 「そこにパソコンがあるだろう」 と予測できます。
そして目から入ってきた情報によって、
「やっぱりあった」
「今日はそこにない」
と予測を確認したり、修正したりします。
目からの情報だけで世界が決まっているわけでもありません。
「脳からの予測」と「実際に入ってくる感覚情報」が相互作用しながら、知覚が成立している、と考えます。
「予測」と現実がズレたらどうなる?
脳の予測と、実際に目から入ってくる情報には、ときどきズレが生じます。
これが一般に 予測誤差(prediction error) と呼ばれる考え方です。
先ほどの机の例なら、
「ここにスマートフォンがあるはず」
と思って見たのに、
ない。
すると、
「あれ?」
となります。
もう一度よく見るかもしれません。
視線を右へ動かすかもしれません。
机の下を探すかもしれません。
あるいは、 「別の部屋に置いたのかも」 と自分の予測そのものを変更するかもしれません。
つまり私たちは、単に入ってきた映像を受け取るだけではなく、
予測を変えること
+
行動して情報を取りに行くこと
の両方によって、不確実さを減らしていると考えることができます。
目を動かすことも「見る」の一部
この考え方を視覚で特に面白くしているのが、 眼球運動 です。
私たちの目は、何かを見るときに細かく何度も動いています。
代表的なのが サッケード と呼ばれる素早い眼球運動です。
2017年にParrとFristonが発表した The active construction of the visual world では、
「どこを見るか」と深く関係している
という視点から、眼球運動と視覚認知の神経機構が整理されています。
考えてみれば当然です。
部屋に入ったとき、私たちは部屋全体を一度に同じ精度で見ているわけではありません。
必要なところから情報を集めていきます。
2021年の Generative Models for Active Vision でも、どこへ目を動かすかという選択には、 どこを見ると情報が得られそうかという予測 や、 情報を得ることで自分の認識を更新できるか という要素が関係すると論じられています。
自分から情報を取りに行くことでもある。
ここが、能動的推測から視覚を考える面白さです。
同じものを見ても、同じように見えるとは限らない
こう考えると、日常の中にも思い当たることがあります。
もちろん、外の世界そのものが突然変わったわけではありません。
変わったのは、
自分が何を予測し、
何に注意を向け、
どこへ目を動かしているか
です。
私たちの「見える」は、外から入ってくる光だけで決まる単純なものではなさそうです。
では、私たちが見ている世界とは何なのか
能動的推測という考え方から見ると、 「見る」は単純な一方向の流れではありません。
この循環が絶えず続いています。
だから、
目、脳、注意、眼球運動、行動。
さまざまな仕組みが関わりながら、 「今ここに見えている世界」 が成り立っている。
そう考えると、普段何気なく行っている「見る」ということが、少し不思議に感じられてきませんか。
能動的推測や自由エネルギー原理は、脳の働きを説明する非常に影響力のある理論的枠組みですが、 視覚や脳のすべてが、この理論だけで説明できると確定したわけではありません。
今回紹介した研究も、「見る」という現象を理解する一つの重要な視点として捉えるのが適切でしょう。
ミエルラボでは
「目だけ」で視界を捉えません
今回紹介した研究からも分かるように、 「見る」という働きには眼球だけでなく、 脳、注意、眼球運動、そして実際に情報を取りに行く行動が関わっています。
ミエルラボでは、 目だけを切り離して考えるのではなく、 目と脳、そして目と脳の働きを支える姿勢・呼吸・身体の使い方など、 身体全体から視界を捉えて調整しています。
「視力の数字だけではなく、普段どのように見ているのか?」
そんな視点も大切にしながら、一人ひとりの「見る」を考えています。
参考文献
The free-energy principle: a unified brain theory?
Nature Reviews Neuroscience, 11, 127–138.
DOI: 10.1038/nrn2787
The active construction of the visual world.
Neuropsychologia, 104, 92–101.
DOI: 10.1016/j.neuropsychologia.2017.08.003
Generative Models for Active Vision.
Frontiers in Neurorobotics, 15:651432.
DOI: 10.3389/fnbot.2021.651432
